人と地球に優しい支援~東北被災地支援~Precious(プレシャス)

作っている女性たち

宮城県東松島にある仮設住宅にお住まいの多くの方々がこのプロジェクトに参加してくださっています。
こちらの9名の方々には震災当日の事などインタビューに答えて頂きました。

  artist01_megumi01   artist02_noriko01   artist04_sachie01  
  相澤 恵さん   鹿野 圭子さん   菊地 いくさん  
  時間を選ばず、自分の作ったものが誰かの手に渡って、 収入を得られるというのは素晴らしいです。   子育ての中、時間を見つけて作品を作っています。
そんなに器用でない自分の作品で大丈夫かな、という想いもあるが、作品を喜んでもらえてとても嬉しいです。
  皆さんと一緒に喜んでもらえるように 一生懸命やろうと思う。  
  artist03_iku01   sc_artist0008   artist09_suzuki
  尾形 幸江さん   阿部 純子さん   鈴木 白美さん  
  編み物はもともと好きでした。 ただ仮設住宅にいて過ごしているよりも こうやって何か作っている方が楽しいです。   このプロジェクトがきっかけとなって、 毛糸を頂いて何かを作ってみようと 思えるようになりました。 お話ししたことのない人ばっかりでしたが、年齢関係なく、集まって共通のことをしているので、話もしやすいです。   部屋で何もしないで考えこんでいるよりも、編み物をしている方が楽しく時間を過ごせます。続けていけたら、と思ってます。
 
  artist07_takahashi   artist08_kijima  
  高橋 美香さん   木島 美季さん    
  母がすごく編み物ができるので、それを見ていてもともと興味はあったのですが、今までは自分にはできないと思っていました。でもこのプロジェクトを見て、やっぱりただ家にいるよりは、やった方が楽しいかなと思って参加しました。   子育てがあるので、何もしなくても忙しいけれど、やらなくてはいけないことがあるのも張り合いにります。近くに住んでいる姑が編み物が得意なので、わからないことがあると聞いてみたり、子どもたちも女の子なので、興味を持っているみたいです。    

artist01_megumi01

相澤 恵 さん(あいざわめぐみ)
被災当時の居住地 宮城県東松島
<あの時>
家にいて4人の子供がいた。
どうしていいかわからず子ども達とうずくまっていた。
何が起こっているのかわからなかった。
市の職員の夫に避難所に行くように怒られ、
おむつとおしりふきだけもって車に飛び乗った。
もう水が溢れていて後30秒遅かったら出られなかったかも。
自分の家が被害にあったが両親の家は大丈夫だった。
<このプロジェクト参加への想い>
時間を選ばず、自分の作ったものが誰かの手に渡って、収入を得られるというのは素晴らしいと思います。
 
artist02_keiko01

鹿野 圭子 さん(かのけいこ)
被災当時の居住地 宮城県野蒜(のびる)
<あの時>
1階の茶の間で、祖父と5歳の双子の娘と8ヶ月の子とおやつを食べている時に地震にあった。
外から「津波だ!」との声であわてて2階へ。庭の木の高さまで水が上がってきていて家から出る事もできず。
津波は階段上から2段目のところでぎりぎり止まったので、そのまま2階で一晩過ごした。 翌日水が引いたので、浸水のため濡れた靴を履き、滑るガレキの中を子供たちを連れて避難所へ移動していた。その時に、自分たちを捜しにきた夫と出会う事ができた。
野蒜地区で避難所に指定されていた体育館は津波により、多くの方が亡くなっていた。仕事に出ていた夫は、そんな壊滅的な野蒜地区の様子を知り、家族の無事を半ば諦めていたという。
物資が届くまでは冷たい水で子供にミルクをあげるしかなく辛かった。その後、親戚の家やお寺に避難させてもらっていたが、子供がいるのですぐに入れるかと思っていた仮設住宅に入居が決まったのは、かなり時間が経った7月の末だった。
自宅は残っていたが周りの家は流され、暮らせる状況ではないため解体。住んでいた地区は高台移転地域に指定されたので、もうかつて暮らして場所にはもどれないという。
<このプロジェクト参加への想い>
子育ての中、時間を見つけて作品を作っています。
そんなに器用でない自分の作品で大丈夫かな、という想いもあるが、作品を喜んでもらえてとても嬉しいです。
 
artist04_sachie01

菊地いく さん(きくちいく)
被災当時の居住地 宮城県東松島矢本
<あの時>
ちょうどお休みで農協に行ってたらすごくゆれた。
夫が家にいたので一旦家に戻って、
すぐ実家のある山の方に避難した。
幸い家族はみんな無事だった。
<このプロジェクト参加への想い>
以前から編み物が好きでした。
皆さんと一緒に喜んでもらえるように一生懸命やろうと思います。
 
artist03_iku01

尾形 幸江 さん(おがたゆきえ)
被災当時の居住地 宮城県東松島市野蒜(のびる)
<あの時>
地震のあと娘と片づけをしていたら、
津波が水しぶきをあげてくるのが見えた。
もう間に合わないと思って2階に上がったら、
どんどん首のところまで水がきた。
カーテンレールにしがみついてもう終わりか
と思ったがしばらくしたら水が引いて命拾いした。
<このプロジェクト参加への想い>
編み物はもともと好きでした。
ただ仮設住宅にいて過ごしているよりもこうやって何か作っている方が楽しいです。
 
sc_artist0008

阿部 純子 さん(あべじゅんこ)
被災当時の居住地 宮城県東松島市大曲
<あの時>
家の中でトランポリンの上にいるような状態だった。
全て倒れて足の踏み場もなくなり何も取りに行けず
着の身着のまま、一旦避難したが、津波が45号線を
超えたので山に逃げろと言われて山に行った。
一晩車の中で過ごした。地震酔いになった。
3日か4日は常にゆれていた。編み物や縫物は
好きだったけれど、作ったものは全部流された。
<このプロジェクト参加への想い>
このプロジェクトがきっかけとなって、毛糸を頂いて何かを作ってみようと思えるようになりました。
以前は作ろうと思えませんでした。
一つの物ができると嬉しくなります。
お話ししたことのない人ばっかりでしたが、年齢関係なく、集まって共通のことをしているので、話もしやすいです。
 
artist09_suzuki

鈴木 白美 さん(すずきゆきみ)
被災当時の居住地 宮城県東松島市東名
<あの時>
東名海岸で牡蠣の養殖の仕事中に地震にあう。掴まらないと立っていられないほどの揺れで、地割れが起こり、目の前でフォークリフトが1mくらい傾き沈んで行った。
すぐに帰宅したが、家の中はぐちゃぐちゃ。学校帰りに預かってもらっていた孫を迎えにいった出先で「津波だ!」との声に気がつき、目の前の山へ。道のない山の斜面を、臨月の娘と小学生の孫と一緒に、枝をつかみながら必死に登り避難した。
水が引いたので避難していた人々と一緒に山を下りるも、妊婦の娘と孫を気にかけながらだったので足どりも遅くなり、途中で置いて行かれてしまった。周りから「助けてください」との声が聞こえる中、娘が産気づかないか心配もしつつ、寒い山の中で寝てしまわないようにしながら一晩過ごした。翌日、私たちの助けを呼ぶ声を聞きつけた方に助けられて下山できた。
実家が津波で流され、父と妹が行方不明に。仕事からの帰宅途中に、実家に立ち寄らなかったことが今でも悔やまれる。妹は3月に遺体安置所で、父は12月に警察からの連絡でDNA鑑定により見つかった。
<このプロジェクト参加への想い>
部屋で何もしないで考えこんでいるよりも、編み物をしている方が楽しく時間を過ごせます。続けていけたら、と思っています。
artist07_takahashi

高橋 美香 さん(たかはしみか)
被災当時の居住地 宮城県東松島市野蒜
<あの時>
当日の朝子供が目を腫らし学校に迎えにいって帰宅後すぐ地震に遭遇。
地震の後、学校に迎えに行くために道が大渋滞し、そこで亡くなった方も大勢いたが、その前に迎えに行ったおかげで子ども達と一緒に逃げられたのは何かの知らせだったのかなと思う。
地震の後、神社に逃げ近所の車の中にいたら、両脇から津波が押し寄せ、急いで車を出て逃げた。津波に追いかけられながら下の子を抱き上の子は押しながら私の前を走らせ高台に。波は高く「あぁ、もうだめなんだな」と思ったが無事に一晩その高台で過ごした。
目の前で流されて亡くなった方も多く、避難所に避難するときはそうした方をまたいで行かなくてはならな子どもたちにとっては、すごくショックでつらいことだったと思う。
夫は仙台の会社で諦めていたがちょうどその日は秋田出張で翌日戻り安心した。
<このプロジェクト参加への想い>
覚えが悪くて一番できない方だと思いますが、やりたくて参加しているので、たとえ下手でも人に聞かなくてもいい程度になれたらいいなと思います。母がすごく編み物ができるので、それを見ていてもともと興味はあったが、今までは自分にはできないと思っていました。でもこのプロジェクトを見て、やっぱりただ家にいるよりは、やった方が楽しいかなと思い参加しました。
顔はわかるけれど話したことがなかった人も多かったですが、知り合いが増えて、仲良くなれて良かったです。
 
artist08_kijima

木島 美季 さん(きじまみき)
被災当時の居住地 宮城県東松島市野蒜
<あの時>
妊娠5~6ヶ月で、老人ホームで働いている時に地震に遭った。
子どもたちは海のすぐそばの保育所にいたが、義理の父が迎えに行ってくれた。なかなか連絡もとれなかったが、一度父から小学校に避難したと連絡があり「避難所なら大丈夫だろう」と思い、私は仕事に追われていた。
しかし、その後、避難所になっていた小学校の体育館に津波が来て、子どもが津波に巻き込まれていた。かなりの人数が亡くなったけれど、浮いてステージの上のカーテンにつかまり、小さい子どもたちは助けられた。うちは祖母が子どもたちを両脇に抱えていて、なんとか無事だった。
次の日に子どもたちが「津波におぼれたんだよ。しょっぱかったよ」と話してくれた。子どもたちが一番大変だったと思うが、そばにいれなかったことが今でもつらい。
家は全壊、実家は福島県相馬市にあったが、妊婦だったので放射能が心配で帰れなかった。妊婦だからすぐ仮設住宅が決まるかと思ったが、結局予定日の直前7月18日に仮設住宅に引っ越し、7月19日に出産、本当に大変だったが元気な子どもが産まれてよかった。
<このプロジェクト参加への想い>
仮設の中でただ暮らしていてもしょうがないし、毎日子どもの送り迎えで他のお母さん方と会っていて、みんなとここで会えたのもご縁なので、これまでやったことがないけど、楽しみながらみんなでやってみようということになりました。
子育てがあるので、何もしなくても忙しいけれど、やらなくてはいけないことがあるのも張り合いになりました。近くに住んでいる姑が編み物が得意なので、わからないことがあると聞いてみたり、子どもたちも女の子なので、興味を持っているみたです。少しずついろいろなものをおぼえて、形になっていったらいいなと思います。
 
Copyright ©